五輪イヤーの辞任ジンクス

2021年9月25日

本日菅総理の退任会見がありました。この記事に絡んで、色々調べてみたら五輪イヤーに首相が退陣するというジンクスがありました。知っていました?面白そうだったので少し調べてみました。興味があれば少し読んでもらえれば幸いです。

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日本開催の五輪

日本の五輪開催は今回の東京五輪含め、4回あります。五輪開催前の首相含め以下のようになります。

  • 1964年 東京五輪 池田勇人首相
  • 1972年 札幌五輪 佐藤栄作首相
  • 1998年 長野五輪 橋本龍太郎首相
  • 2021年 東京五輪 菅義偉首相

さてそれでは各々なんで辞任したのでしょうか。その理由を見ていきます。

1964年 東京五輪 池田勇人首相

まず最初の日本開催のオリンピックは1964年の東京五輪でした。当時の首相は池田勇人首相。「所得倍増計画」などで知られた内閣で、辞任の事を調べてみると、五輪開催1ヶ月前の9月に病気療養のため入院し、10月10日の開会式は病院から駆けつけて出席したが、閉会式の翌日に辞任を表明しています。

調べてみると、入院に関しては1964年9月9日に国立がんセンターへの喉頭癌の治療のため入院したとなっていて、すでに癌は相当進行していたと言われています。

癌の進行と療養の事を考えれば、仕方がない辞任のように思えます。

1972年 札幌五輪 佐藤栄作首相

次の日本での開催は1972年の札幌五輪でした。その時の首相は佐藤栄作首相。1974年にノーベル平和賞も受賞している偉大な方ですが、その辞任理由とは。

調べてみても深い理由も見つからなかったのですが、佐藤首相の在任期間は歴代3位で、連続在任期間は歴代2位の2798日で昭和時代においては最長の長期政権でした。そう考えるとちょうど辞任のタイミングだったののかもしれません。

1998年 長野五輪 橋本龍太郎首相

3回目の開催は今から23年前の長野五輪の橋本龍太郎首相。90年代なので、最近の首相のようにも感じますが、「行政改革」「財政構造改革」「経済構造改革」「金融システム改革」「社会保障構造改革」「教育改革」の六大改革を提唱したことが有名です。そんな橋本龍太郎首相はなぜ辞任したのでしょうか。

1998年の参院選で自民党が獲得議席を17議席減らし、44議席と大敗し、橋本龍太郎首相は引責辞任に追い込まれました。

当時としては異例の惨敗だったので辞任するのも仕方ないかと思います。ジンクスはジンクスで、やはり特別な因果関係はないのでしょうか。

2021年 東京五輪 菅義偉首相

そして今年の東京五輪の菅義偉首相。2020年のコロナ禍の大変なタイミングで着任しましたが、デジタル庁の発足や新型コロナ感染症対策に取り組んでいました。発足当初の支持率は64%と高かったのですが、新型コロナ対策やコロナ禍での五輪開催などを巡って支持率が低下してしまいました。今回、辞任の理由を「(総裁選への)出馬を予定する中で、コロナ対策と選挙活動を考えた時に、莫大なエネルギーが必要だった。やはり両立はできない。どちらかに選択すべきである」とされていましたが、もう少し総理大臣を勤めても良かったのではと個人的には思います。

ジンクスはあくまでジンクス

ジンクスの意味合いは「良い悪いどちらにせよ、縁起をかつぐ対象となるもの」とされています。今回の菅首相が辞任されることも「タイミング」。過去の首相が辞任されたことも「タイミング」。共通性は無いし、現時点ではタイミングが五輪と重なってしまったということかと思います。内情を知っている人が見れば何か共通点があったりするかもしれませんが、一般市民で、そこまで政治の事を詳しくない私には「タイミング」としか思えません。もし、次、日本で開催された時の首相の動きは注意してみたいと思います。